ある日どこかで☆バンコクの空を見上げながら

東南アジアの片隅で空を見上げて過ごしています。

ひやひやした電話

待ちわびた電話がかかってきたことを、出張先から大量の洗濯物を携えて帰宅した夫に伝え、「すごいねえ、覚えていてくれたんだね。」と夫も喜んでいたのだけれど、出張先での激務を終えて、体調不良は悪化していた様子。翌日、「やっぱりまだ喉が痛い・・・」と言いながらも仕事に出掛け、夕方、「ダメだ・・・今から病院に行く。」と電話がかかってきた。

 

前回の咽頭炎の症状に似ていたから、「これアカンやつや」と、体感でわかるらしい。いつもだったら、なかなか病院に行こうとしない夫が珍しく(大人しく?)病院に行ったのには理由がある。

 

2日後にフライトを控えているから、熱がこれ以上高くなると、飛行機に乗れなくなってしまうのだ・・・💧

 

そんな最悪の事態を避けようと、何とか時間を作り病院へ行った夫から、「インフルエンザの検査結果待ち」と連絡が来て驚いた。

 

えっ!?可能性があるの???

 

ドクターから、「一応念のため」と言われて検査を受けたようで、結果はネガティブ(陰性)でホッ。

 

結果を待っている40分の間、「陽性だったら飛行機に乗れない~~~~~(´;ω;`)」と、こちらがひやひやしてしまった。

 

本人はそれどころではなく、「とにかく横になりたくて、夕方であまり人もいなかったから、ダラ~~~~としていた」らしい。そうだよね、それは仕方ないよ(´;ω;`)ウッ…

お疲れ様でした。

 

とにかく、無事に飛行機に乗れますように。。。

待ちわびた電話

昨日(9月4日)、嬉しいことがあった。

午後3時頃、日本から、待っていた電話がかかってきたから。

 

覚えていてくれて、ありがとうございました。

見つかって良かったね。

 

かけるタイミングが難しくて、なかなか電話ができなくて、私達が心配しているだろうな、と気をもんでいてくれたそう。

 

「心配かけとるだろうなあと、苦になっとんたんだわ。遅くなってごめんなあ。なかなかタイミングが難しくて、かけれんかった。やっぱりちゃんとしまってあったわ。持って行くわな。聞き耳たてとるといかんで、ちゃっと切るわ。」

 

5分くらいだったかな?ひそひそ声で一生懸命に伝えてくれたおばあちゃん。可愛かった♡お薬をもらいに行ったこと、目薬をもらったこと、なかなか電話ができなくてヤキモキしてくれたこと。たくさん話してくれたね。

声が聞けて嬉しかったよ。ありがとう、おばあちゃん。

出張

忙しさは、さらなる忙しさを呼ぶのか、夫は昨日から出張中。


早朝の出発前に、「マズイ…喉が痛い。前みたいな感じ…💧」と言い出したので、ヒヤッとした。


「前みたいな感じ」と言うのは、6月、7月と、体調を崩しまくっている間にかかった咽頭炎のこと。


ひどい咳が治らないと思っていたら、熱と喉の痛みも加わってフラフラになり、それでもなかなか病院に行けず、やっと薬をもらい、やれやれと思っていたら、謎の蕁麻疹が出て、また病院に行って、てんやわんやだったなぁ、あの時期は。


今もベストな体調とはとても言えないのに、咽頭炎の時のように喉が痛いと言い出したので、慌てて常備薬の中から数点を選んでカバンに入れてもらう。


昨夜、疲れた声で出張先のホテルから電話があったけれど、昼分の薬を飲む暇もなく忙しかったらしい…💧

体調不良

昨日の夕方頃から体調がイマイチで、今朝はお出掛けしたものの、めまいがひどくて倒れそうになり、予定を途中でキャンセルして帰宅してしまった・・・

 

うーん、一時帰国中の出来事をブログに書いて気持ちの整理をしていたつもりが、逆効果だったかな!?辛かった気持ちがフラッシュバックしてきて、ちょっと抱えきれなくなっている感じ。マズイなあ。心的ストレスが体調不良という形でSOSを出している状態で、これは経験的によくない兆候・・・

 

こういう時、夫と結婚した当初から、義母と義弟から受ける精神的なプレッシャーは相当なものだったなあと、当時のつらい気持ちがこみあげてきて、今でも泣きそうになる。というか、涙があふれてくるので、実際泣いているのだけれど。もちろん、今も昔も相手はそんなつもりはなく、自分達が私を追い詰めているとは思ってもいない。

 

結婚して夫の実家の隣に住むようになってからは、義母の目を気にして実家に帰ることさえ我慢するようになり、義母と義弟から受ける理不尽な嫌味や冷たい言動を見て見ぬふりをして一人で抱え込んでしまった結果、生理が止まり、ストレスから蕁麻疹が出るようになった。

 

ふとした時に、突然意味もなく涙があふれ、食欲もなく瘦せていった。追い詰められていた状況の中、生理が止まるのも当然の結果だったように思う。

自分の体調を気遣う精神的な余裕も、自分のために病院に行こうという元気もなかった。若かったし。

 

ある日、このままでは死んでしまうと思い、大げさに聞こえるかもしれないけれど、あの当時の自分としては決死の覚悟で実家に帰った。どうやって帰ったかも覚えていないくらい。それくらい切羽詰まっていたし、突発的な行動だったように思う。実家に帰るのはずいぶん久しぶりだった。


母は娘のただならぬ雰囲気に気付いていたと思うけれど、何も聞かず、いつものように接してくれて、美味しいご飯を作ってくれて、食べていると涙がポロポロ流れて、それからは、それこそ子供のようにワンワン泣いた。堰を切ったようにとは、まさにあんな状態だろうというくらい、あとからあとから涙があふれた。

 

あの日、母にはずいぶん心配を掛けたと思う。それでも、母は何も聞かなかったし、私も話さなかった。

 

病院の先生には、「原因から離れたほうが良い。根本的な解決はそれしかないですよ。」と優しく、しかしハッキリと何度も言われていたので、隣に顔を出す回数も減っていった。私を可愛がってくれていた亡き義父は寂しそうに、「一人でいても仕方ないのだから(夫はいつも帰宅が遅かったので)、いつでもこっちに来ればいいんだ。」といつも声を掛けてくれて、それが心苦しかったし辛かった。義母と義弟のせいで足が遠のいたとは、とても言えなかった。

 

あの頃から今まで、夫との喧嘩の原因の多くは「隣」の義母と義弟のことだったし、これからもそうなのだろう。義母と義弟から受ける精神的なプレッシャーにこれ以上耐えられず、夫と別れようと思ったり、追い詰められて双極性障害の薬を病院で処方されたり、ストレスから蕁麻疹になったり、もう幾度となく繰り返してきた。

 

日本から離れてバンコクで暮らしていても、やはりダメなのだ。

何かの拍子に思い出し、どうしようもなく悲しくなって、何も手につかなくなってしまう。

 

いつしか足が遠のいて、私が隣に顔を出す回数が少なくなっていったことを、今でも義母と義弟に責められる。行こうと思うと足がすくみ、上手く呼吸ができなくなる発作に襲われていたことを、義母も義弟も知る由もないから仕方ないのかな。

 

「実家にばかり帰る」と嫌味を言われるけれど、それは、「ご飯を食べにいらっしゃい。」「〇〇を買ってきたから取りにいらっしゃい。」と、両親が声を掛けてくれるから行くのであり、実際に、義母が声を掛けてくれた時は有難く隣に行っていたし、それを断って、断固行かないということはなかった。ただ、義母がそうやって言ってくれた回数が、極端に少なかっただけ。向こうから声を掛けてくれた時は、「行ってもいいんだ」と言う気持ちが無意識に働くからか、発作が起こることも少なかった。

 

こうやって書いている間も、何度も心が折れて、この記事を一日で書き上げることができなかった・・・やっぱりダメだなあ。辛い。。。でも、克服しないと💧

義弟くん

今回の一時帰国では、終始、私の事を避けている?という態度だった義弟くん。

私がリビングにいると、スッと2階の自分の部屋に引きこもってしまって、一度も顔を出さなかった。

 

以前は自分の娘と1階にいて、みんなでリビングで一緒にテレビを見たり、くつろいだり、遊んだりしたけれど、今回は娘を置いて自分は2階へ行ったきり。私が帰るまで、何時間も降りてこない。

 

何日も何日もそれが続いたから、さすがに気まずいし、落ち込んだ・・・

私、そんなに邪魔だったかしら💧

 

それにしても義弟くん、お寺さんが来る日は前々から決まっていたというのに、その前日になって、「忘れていた」ことに気が付いたらしい(´・ω`・)エッ?

 

私はそのために帰国を決めたのだけれど、義弟くんにとってはそれほど大事な行事ではなかったということなのか?そんなことはすっかり忘れていたらしく、自分の娘と出掛ける予定を入れてしまい、しかもお寺さんが来る日の前日になって、やっと義母も義弟もそれに気が付くって(・□・;)

 

これ、仮に忘れていたのが夫だったとしたら、きっと義母はすごい剣幕で烈火のごとく怒るだろうけれど、そこは、目に入れても痛くないほど可愛がっている義弟くんがやらかしたことだから、いつもの通り、「仕方ないわね。」の一言で済んでいた。はい、もう驚きません。

 

本当にそれで許されることなのかなあ・・・私がモヤモヤしたところで、いつもの通り「〇〇さん(私)には関係ない」と言われるだろうから、もちろん何も言わなかった。

 

でも、おばあちゃんも言っていたように、

「ご先祖様はちゃんと見ている」ということ。

私もそう思うなあ。

 

そんなこんなで、お寺さんがお見えになった時に義弟くんとその娘がいない、というありえない展開になってしまったけれど、急きょ帰国を決めて良かったと、改めて思ったのでした。だって、おばあちゃんと義母の2人だけだった可能性があったわけで、それじゃあ、あまりにも寂しすぎるもんね・・・💧

 

急に思いついて、お寺さんがお経をあげて下さる直前に、バンコクにいる夫とビデオ通話をつなぎ、夫にも参加してもらえて良かった。神妙な顔をして、ずっと一緒にお経を聞いていました。

 

それにしても、ふつう忘れる?そんな大事なこと(-ω-;)

前日に気付いたのだから、お出掛けを取りやめにするかな?とも思ったけれど、予定通り出掛けちゃったし。

お出掛けを優先したということは、その行事よりお出掛けの方が大切だったのかなって考えると、おとうさん、寂しかったんじゃないかな。。。

 

「〇〇さん(私)がもっと大人にならないといけない。」とか、「あなた(夫)の考えは100%間違っている。」とか、人には厳しいことを言うのに、自分には甘いのかな?

一時帰国中の出来事③

義母は首を悪くして以来、バイクの運転をやめているので(もともと自動車の運転免許証は持っていない)、食料品や日用品の買い物は、義弟が行くらしい。

で、まだまだ義母の愚痴は続く。。。

 

義母「あのね、自分で買いに行けないから、冷蔵庫にあるもので作るしかないの。」

 

私「メニューを考えて買い物に行くんじゃなくて?」

 

義母「そうでしょ、でもね、鶏肉が安かったからとか言って買ってくるの。そうしたらね、買ってきた食材で作らないといけないのよ。だから大変なの。わからないのね、大変だってことが。困るでしょ?」

 

うーん、それは大変そうだ・・・

 

でも・・・

 

一緒に買い物に連れて行ってもらえばいいのに???

「今日はこれを作るから、足りない材料はこれね。」とか、言えばいいのでは???

 

おばあちゃん(夫の祖母。義母にしてみれば姑)の話では、義母はお買い物が大好きで、しょっちゅうデパートで買い物しているそうだけれど?

 

首が痛い、痛いと言いながらも元気そうだから、一緒に買い物に連れて行ってもらえばいいんじゃないかなあ。。。

 

これはずっと前から何度も何度も感じていることなのだけれど、義母は義弟には、すごーーーーーーーーーーく気を遣っていて、なんていうのかな?義弟には我がままを言えない感じ!?

 

「義弟には」って言うのがポイントで、なぜかと言うと、その反動なのか、同じ息子である夫には、言いたい放題、やりたい放題、我がまま放題だから(+_+)

 

例えば、電話をしていても、自分が気に入らない話題になったり、会話が自分の思い通りの展開にならないと、義母は「ガチャン!」と突然電話を切ってしまう。

 

「△□△□△(義母に話している夫)・・・あれっ!?また勝手に切られた!!!」と言う夫の驚きの声を、今まで何度聞いた事か💧

 

私「えっ、おかあさん、また話している途中で勝手に切っちゃったの???」

夫「(悲しそうな顔)・・・・」

 

そうなのだ、突然電話を切られると、夫はとても悲しいらしい(当たり前だけれど。誰だって、そんなことをされるのは嫌だと思う。)

 

海外赴任が決まってバンコクに来る前には、「お向かいの〇〇君に、僕(実家の隣に住んでいる)がいなくなると、実家は老人ばかりになるので、何かと気にして頂けると助かりますって、ちゃんと挨拶しておいてね。」と義母から突然言われたことがある。

 

ん???(実家の庭にある亡き義父の会社で働いている)義弟が毎日実家に来るのに?

と思いつつも、私達夫婦はお向かいの〇〇君ご夫妻に、義母のお願いを伝えに行ったのだ。まさかその時は、その数か月後に義弟が娘を連れて実家に出戻ってくるとは思いもよらなかったし。

 

義弟が出戻ると聞いた時は、真っ先に〇〇君ご夫妻のことが頭に浮かんだ。快く「大丈夫だよ。気にするようにするから、安心して。」と優しく言ってくれた〇〇君ご夫妻。

義弟が出戻ってきたからには、「ありがとうございました。僕が一緒に住むことになったのでもう大丈夫です。」って、義弟はお礼を伝えてくれたよね???

 

自分からはとても聞けなかったけれど、その時も愚痴モード全開だった義母は、グチグチと話を続ける中で、困ったようにこう言った。

「〇〇(義弟)はね、挨拶に行くのがイヤだって言うのよ。そんなの別に行かなくていいんじゃないのって・・・若いのかしらね。

 

でた!何でも許してしまう魔法の言葉、「若いのかしらね」

 

夫と義弟は2歳しか離れていない。中年以降の2歳なんて、ほとんど誤差の範囲だと思うし、何より義弟は、世間から見れば立派な「おじさん」と言える年齢である。

 

夫や私の言動には、容赦なく攻撃してくるのに、いい年をしたおじさん(義弟)やおばさん(そのお嫁さん)がいくら自分勝手な言動をしても、「若いのかしらね」ですべて許してしまう義母って一体・・・

 

事あるごとにそうやって差別され、夫や私が心に傷や痛みを負っている事、それがずーーーーーーーーーーーっと続いている事、義母は自分が何をしているか、ぜんぜん気が付いていないんだろうなあ💧

 

魔法の言葉は義弟が何歳になるまで言い続けて、いつまで彼の我がままを庇い続けるつもりなんだろうか…この調子だと、50歳になっても60歳になっても言ってそう(; ̄O ̄)反面教師にしなければ。

 

今回の帰国では、たまたま〇〇君の奥様にお会いすることができたので、お話の中でそれとなく謝ることができて良かった。「皆さんまだまだ全然お元気だから、私達も何もしていないのよ、気にしないでね。」と優しく言ってくれて、有難いやら申し訳ないやら・・・でも、ずっと気になっていたから、やっとご挨拶出来て良かった。ホッ。

一時帰国中の出来事②

義母の話は多岐にわたっていたけれど、ほとんどは一緒に暮らしている息子(義弟)と孫(離婚した義弟が実家に出戻るときに連れてきた小学生の一人娘)のことだった。

 

義弟の一人娘は、離婚騒動が始まった時には小学校に入学したばかりの年齢で、今では小学校3年生。

 

義母から聞いて驚いたけれど、なかなかどうして、「ああみえて、あの子、感情の起伏が激しいのよ。」と言う事らしい。(義母談)

 

なんでも、先日はふとしたことで言い争いのようになったそうで、「私、泣かされたの!」と義母が言うからますます驚いた。

 

えっΣ(・□・;)

 

私「あの、泣かされたって・・・えっ?おかあさんがですか???」

義母「そうよ!あの子、言い方がキツイのよ。誰に似たのか知らないけれど、感情の起伏が激しいの!」

 

と、またしても「感情の起伏が激しいの!」と強調。

ふーん・。・

そうは見えないけれど、やっぱり私達がいる前だと、普段とは違うのかな?

 

でも、小学校3年生の女の子、しかも、自分の孫の発言に、おばあちゃんの方が泣くって(´・ω`・)それはちょっと、どうなんだろうか・・・

あんまり聞かない話のような気がするけれど。

 

後は、孫のお世話やお守りを、義弟に押し付けられていると感じる時もあるようで、「私、小間使いなの」と自虐的に言っていたのも、気になった発言ではある。

 

そうか、そう思う時もあるんだ。

 

などなど、義弟に直接言えないと思われる日々の愚痴を、ひたすら聞かされていたのでした。